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2001年3月27日(火) 10時18分
故ケネディ米大統領暗殺事件の狙撃者は2人=英専門家(ロイター)  [ロンドン 26日 ロイター]

英犯罪専門家D.B.トーマス氏は、1963年の故ケネディ米大統領の暗殺事件に関与した狙撃者が2人いたのほぼ確 実、との見解を明らかにした。  英専門誌で同氏は、第1の狙撃者だったリー・ハービー・オズワルドが3発銃撃したのとほぼ同時に、第2の狙撃者が発砲していたとする説を支持して いる。  トーマス氏は、当時ダラス市警の無線入った音を分析した結果、銃弾の1発が草むらに潜んでいた第2の狙撃者によって発砲された可能性が96. 3%ある、としている。


1999年8月6日(金) 10時3分
<JFK夫人>夫暗殺された後、ソ連首相に戦争自制を求める手紙(毎日新聞)

 ケネディ米大統領が63年に暗殺された9日後、ジャクリーン夫人がフルシチョフ・ソ連首相あてに、戦争に進まないよう自制求める手紙を送っていたことが5日、明らかになった。キューバ・ミサイル危機の収拾直後の冷戦期に、夫の死が世界の平和にもたらす影響を心配した夫人が個人的なメッセージを送ったとみられる。 [毎日新聞 08月06日]


1999年8月4日(水) 17時13分
<JFK暗殺>米連邦調停委が暗殺フィルムに約18億円の値段(毎日新聞)

 【ワシントン3日瀬川至朗】米連邦調停委員会は3日、36年前のケネディ米大統領の暗殺場面を記録した映像フィルムについて、米政府が保管するために、撮影者の遺族に1600万ドル(約18億4000万円)の補償金を支払う調停案を発表した。フィルムはわずか26秒間だが、暗殺場面を最も鮮明に映し出した歴史的な証拠と判断され、映像1秒当たり62万ドルの超高値が付けられた。  フィルムは、ダレスで衣料品製造業を営んでいたアブラハム・ザプルーダーさん(1970年に死亡)が、63年11月22日のケネディ大統領のパレードを、ムービー・カメラで撮影した。ケネディ大統領が銃弾に倒れる様子が克明に映し出され、オリバー・ストーン監督の映画「JFK」にも使われた。  昨年夏、連邦政府令に基づき、映像フィルムの所有権が遺族から米政府に移り、米国立公文書館に保管された。しかし、補償金の額をめぐり、100万ドルを提示する米司法省に対し、遺族側は、「フィルムはゴッホの絵と同じ価値を持つ」と、3000万ドルを要求して折り合いがつかなかった。  元連邦判事らが調停委員となった調停案は、両者のほぼ間をとった形で、遺族側は満足の意を表明。司法省も「米国の歴史に残る悲劇の証拠が今後の学究的な研究のために保護されることになった」と歓迎のコメントを発表した。  補償額については、犯罪の証拠資料である映像フィルムに国は1セントも支払う必要はないと主張する暗殺事件の研究者がいる一方で、映像フィルムがオークションにかけられたら2000万ドルは下らないとするオークション関係者の意見までさまざまだった。 [毎日新聞8月4日] ( 1999-08-04-10:35 )


1999年8月4日(水) 10時33分
<JFK暗殺>米連邦調停委が暗殺フィルムに約18億円の値段(毎日新聞)

 米連邦調停委員会は3日、36年前のケネディ米大統領の暗殺場面を記録した映像フィルムについて、米政府が保管するために、撮影者の遺族に1600万ドル(約18億4000万円)の補償金を支払う調停案を発表。フィルムは暗殺場面を映し出した歴史的な証拠と判断され、映像1秒当たり62万ドルの超高値が付けられた。 [毎日新聞 08月04日]


1999年8月4日(水) 6時16分
ケネディ大統領暗殺記録フィルムに18億円=米政府、撮影者の遺族に支払(時事通信)

 【ワシントン3日時事】1963年11月、米テキサス州ダラスでケネデイ大統領暗殺の瞬間を8ミリカメラで撮影した地元市民の遺族と米政府が、このフィルムの政府による買い取り価格について争っていた問題で、調停委員会は3日、価格を1600万ドル(約18億4000万円)に決定したと発表した。  [時事通信社 1999年 8月 4日 06:16 ]


1999年7月31日(土) 9時1分
ケネディ氏の操縦ミスか=機体に異常なし−米運輸安全委(時事通信)

 【ワシントン30日時事】米運輸安全委員会(NTSB)は30日、去る16日深夜マサチューセッツ州沖合で起きた故ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏操縦の小型機墜落事故の中間調査結果を公表、「操縦中に機体の故障や火災が起きた兆候はなく、エンジンも海面に突入するまで機能していたようだ」と指摘し、機体に異常はなかったことを明らかにした。これにより、事故は同氏の操縦ミスの可能性が強まった。  [時事通信社 1999年 7月31日 09:01 ]


1999年7月29日(木) 0時13分
<ケネディ>追慕の熱冷めず 米市民、いまも弔問の列(毎日新聞)

 自家用機墜落事故で死去したケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻らの追悼ミサは23日終わったが、米国民の思いはおさまる気配がない。夫妻が住んでいたニューヨークのアパートには、市民数千人が弔問に訪れている。同氏は父親とともに米国民の思い出の中で生き続けるのは間違いない。 [毎日新聞 07月29日]


1999年7月27日(火) 18時13分
<M・モンロー>遺品1000点を公開 オークション前にNYで(毎日新聞)

 【ニューヨーク支局26日】よみがえるモンロー伝説――。36歳でこの世を去った米国の女優マリリン・モンロー(1926〜62年)の遺品約1000点が26日、ニューヨークの競売会社クリスティーズで公開され、熱心なファンが殺到した。  10月に当地で行われるオークションを前に、米国やパリなどを回る展示の一環。モンローが「ハッピー・バースデー」を歌った62年5月の故ジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティーで着ていたドレスから、毛皮のコート、鍋(なべ)つかみなどの日用品まで並んでいる。  クリスティーズの担当者は「特に選んだコレクションではなく、彼女のすべてがわかる展示」と話しており、詰め掛けたファンはモンローの思い出に浸っていた。 [毎日新聞7月27日] ( 1999-07-27-11:15 )


1999年7月27日(火) 11時23分
<M・モンロー>遺品1000点を公開 オークション前にNYで(毎日新聞)

 36歳でこの世を去った米国の女優マリリン・モンローの遺品約1000点が26日、ニューヨークの競売会社クリスティーズで公開され熱心なファンが殺到した。10月に行われるオークションを前に、米国やパリなどを回る展示の一環。故ジョン・F・ケネディ大統領の誕生パーティーで着ていたドレスなどが並んでいる。 [毎日新聞 07月27日]


1999年7月24日(土) 17時14分
<ケネディ>追悼ミサNY聖トマスモア教会で米大統領夫妻も出席(毎日新聞)

 【ニューヨーク23日川西和夫】自家用機墜落事故で死去したケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻ら3人の追悼ミサが23日、ニューヨークの聖トマスモア教会でクリントン米大統領夫妻も列席して行われた。各地で半旗を掲げるビルや家庭もあり、ホワイトハウスを“揺りかご”にして育った同氏への米国人の思い入れが、事故から1週間絶えることがなかった。  ミサには姉キャロラインさん、親類にあたる俳優のアーノルド・シュワルツェネッガー氏、親交のあったボクシングのモハメッド・アリ氏ら約350人が集まった。  おじのエドワード・ケネディ上院議員が「彼は生まれた最初の日から、我々の家族だっただけでなく、国民の家族だった。多くのものが彼には約束されていた」と語り、政治家も含めさまざまな可能性のあった甥の早過ぎる死を悼んだ。  ケネディ家は式を個人的なものとして、撮影を認めなかったが、主要テレビは2時間以上の生番組を組み、3歳だったケネディ氏が父親の棺に敬礼する姿など、過去の映像を放送し続けた。母ジャクリーンさんらが生前訪れていた同教会の近くには数百人の市民が集まり、中には悲しみで泣き出す人もいた。 [毎日新聞7月24日] ( 1999-07-24-10:22 )


1999年7月24日(土) 13時2分
<ケネディ>追悼 悲劇の死をとげた二人目の「JFK」に別れ(毎日新聞)

 23日、自家用機墜落事故で亡くなったケネディ・ジュニア氏らの追悼ミサがNYの聖トマスモア教会で行われ、周辺でも市民たちが悲しみを分かち合った。クリントン大統領夫妻が参列したため厳しい規制が行われたが、花束などを持った人々が続々集まり、悲劇の死を遂げた2人目の「JFK」に別れを告げた。 [毎日新聞 07月24日]


1999年7月24日(土) 10時13分
<ケネディ>追悼ミサNY聖トマスモア教会で米大統領夫妻も出席(毎日新聞)

 自家用機墜落事故で死去したケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻ら3人の追悼ミサが23日、ニューヨークの聖トマスモア教会でクリントン米大統領夫妻も列席して行われた。各地で半旗を掲げるビルや家庭もあり、同氏への米国人の思い入れは、事故から1週間絶えることがなかった。 [毎日新聞 07月24日]


1999年7月24日(土) 1時6分
大統領ら出席しケネディ氏追悼ミサ=NY(時事通信)

 【ニューヨーク23日時事】故ケネディ元米大統領の長男で、自家用小型機の墜落事故で死亡したジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻を追悼するミサが23日、ニューヨーク・マンハッタンのセントトマスモア教会で、親族や友人ら関係者約350人が参列して行われた。  同教会はケネディ氏の母親の故ジャクリーン・ケネディ・オナシスさんがかつて礼拝していたところで、ミサには、ケネディ氏の叔父のエドワード・ケネディ上院議員ら親族のほか、クリントン大統領がヒラリー夫人と娘のチェルシーさんを伴って出席した。  [時事通信社 1999年 7月24日 01:06 ]


1999年7月23日(金) 15時36分
ケネディ・ジュニア氏らの遺灰は海へ(ロイター)

[ウッズホール(米マサチューセッツ州) 22日 ロイター] 米マサチューセッツ州マーサズビンヤード島沖の海底で遺体で発見されたケネディ元大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)、妻のキャロリンさん、その姉の3人の葬儀が、同島沖に出航した米海軍駆逐艦ブリスコーの艦上で行われ、遺灰は海上にまかれた。 内輪で厳かに執り行われた葬儀には、ケネディ・ジュニア氏の実姉キャロライン・シュロスバークさん、おじのエドワード・ケネディ上院議員ら遺族が出席した。 艦上葬は、ケネディ・ジュニア氏らが乗っていた小型機が墜落した海上付近で約45分間行われた。


1999年7月23日(金) 9時42分
<ケネディJr・>遺灰が夫人とともに遭難海域にまかれる(毎日新聞)

 自家用機墜落事故で死去したケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)、キャロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)の遺灰が22日午後、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島沖の遭難海域にまかれた。ケネディ氏は生前、遺灰を海にまくよう希望していたという。 [毎日新聞 07月23日]


1999年7月22日(木) 12時14分
<JFK捜索>3人の遺体を発見し収容 米国民は悲しみを新たに(毎日新聞)

 【ニューヨーク21川西和夫】米沿岸警備隊は21日午後(日本時間22日午前)、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島南西沖約12キロで、ケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)、キャロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)の遺体を発見し収容、搭乗していた自家用小型機も引き揚げた。事故発生後5日後の遺体発見により、米国民は悲しみを新たにしている。  米沿岸警備隊の発表によると、機体は胴体部分が水深約35メートルの海底に横たわり、中から3人が見つかった。国家運輸安全委員会が原因解明を急ぐが、操縦していたケネディ・ジュニア氏が同島の空港に向けて着陸しようとして方向を誤り、進路を変えようとしているうちに操縦を誤ったという見方が出ている。  遺体が海上の船に収容された後、ケネディ・ジュニア氏のおじのエドワード・ケネディ上院議員(67)らが現場へ直行し、悲劇的な対面をした。  ケネディ・ジュニア氏らの追悼式は母親ジャクリーンさんが生前に訪れていたニューヨークの教会で23日午前11時(日本時間24日午前0時)、クリントン米大統領夫妻や家族が出席して行われる。これに先立ち22日夜には同市でケネディ家の出身であるアイルランド系米国人による公開の追悼式も予定されている。 [毎日新聞7月22日] ( 1999-07-22-10:12 )


1999年7月22日(木) 11時26分
ケネディ氏ら3人全員の遺体を収容=マサチューセッツ沖で水葬へ−CNN(時事通信)

 【ニューヨーク21日時事】故ケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻ら3人が乗った自家用小型機の墜落事故で21日、行方不明となっていたキャロリン夫人(33)と夫人の姉のローレン・ベセットさん(34)の2人の遺体が米東部マサチューセッツ州マーサズビニャード島沖で発見され、先に見つかっていたケネディ氏の遺体と共に収容された。  [時事通信社 1999年 7月22日 11:26 ]


1999年7月22日(木) 10時2分
<JFK捜索>3人の遺体を発見し収容 米国民は悲しみを新たに(毎日新聞)

 米沿岸警備隊は21日午後、マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島南西沖で、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)、キャロリン夫人(33)、夫人の姉ローレンさん(34)の遺体を発見し収容、搭乗していた自家用小型機も引き揚げた。事故発生後5日後の遺体発見により、米国民は悲しみを新たにしている。 [毎日新聞 07月22日]


1999年7月22日(木) 9時12分
<JFK捜索>通常の遭難より長く−米大統領、沿岸警備隊に指示(毎日新聞)

 クリントン米大統領は21日の会見で、ケネディ・ジュニア氏らの捜索を通常の遭難の場合より長く続けるよう沿岸警備隊に指示していたことを明らかにし、「責任は沿岸警備隊ではなく私にある」と述べた。ケネディ氏の捜索は17日から連邦政府が責任を持って大掛かりな態勢で続き、一部から「特別扱い」に疑問が出ていた。 [毎日新聞 07月22日]


1999年7月22日(木) 8時25分
ケネディJr氏の遺体を米マサチューセッツ州沖の海中で発見=TV(ロイター)

 [ワシントン 21日 ロイター] 自家用飛行機を操縦中に墜落したケネディ元米大統領の子息、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏の遺体は、マサチューセッツ州沖合いの海中で発見された。 NBCテレビが捜索に関係する複数の当局筋を情報源として報じた。 それによると、同氏の遺体は、16日夜に墜落した「機体の大部分」とともに深さ約100フィート(30メートル)の海中で発見された。


1999年7月22日(木) 0時35分
ケネディ・ジュニア氏の遺体発見=夫人らは依然不明−小型機墜落事故(時事通信)

 【ニューヨーク21日時事】ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻ら3人が乗った自家用小型機の墜落事故で、米運輸安全委員会(NTSB)などによる事故調査・捜索活動により21日までに、同氏とみられる遺体と機体の大部分が見つかった。  米NBCテレビなどが報じたところによると、20日深夜から21日未明にかけ、マサチューセッツ州マーサズビニャード島から約11キロ沖合の水深約30メートルのところで発見されたという。遺体の収容と機体の引き揚げは21日中に行われる見通し。ただ、事故機に同乗していたキャロリン夫人(33)と夫人の姉のローレン・ベセットさん(34)の行方は依然として不明という。  [時事通信社 1999年 7月22日 00:12 ]


1999年7月21日(水) 23時14分
<小型機事故>ケネディ・ジュニア氏の遺体見つかる−−米NBC(毎日新聞)

 【ニューヨーク21日川西和夫】自家用機操縦中に米マサチューセッツ州で消息を絶ったケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の遺体を発見したと、米NBCテレビなどが21日朝(日本時間同日夜)報じた。  米政府高官によると、遺体と墜落機は米マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島沖約11キロの海域で前夜から同日朝にかけての捜索で発見。水深約30メートルの場所という。同乗していたキャロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)については明らかでない。  ケネディ・ジュニア氏は16日夜、おじの故ロバート・ケネディ司法長官の末娘ローリーさんの結婚式出席のため、同州ハイアニスポートに自家用機で向かう途中に遭難、米沿岸警備隊は18日、3人の生存が絶望的だと発表していた。 [毎日新聞7月21日] ( 1999-07-21-21:48 )


1999年7月21日(水) 23時12分
<小型機事故>ケネディ・ジュニア氏の遺体発見 米政府確認=替(毎日新聞)

 自家用機操縦中に消息を絶ったケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の遺体が発見されたことを米政府高官が21日朝明らかにした。同乗していたキャロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)はなお行方不明。クリントン米大統領には21日午前2時半に報告された。 [毎日新聞 07月21日]


1999年7月21日(水) 22時28分
ケネディ・ジュニア氏の遺体発見=米TV報道(時事通信)

 【ニューヨーク21日時事】米NBCテレビは21日、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏らが乗った自家用小型機の墜落事故で、同氏の遺体と機体の大部分が見つかったと報じた。  関係筋の話として伝えたもので、それによると、捜索に当たっていたダイバーが20日夜、マサチューセッツ州マーサズビニャード島から約11キロ沖合の水深約30メートルのところで発見。21日中に引き揚げられる見込みという。  ただ、事故機に同乗していたケネディ氏の妻と義姉の遺体が見つかったかどうかは明らかでない。  [時事通信社 1999年 7月21日 22:28 ]


1999年7月21日(水) 22時14分
<小型機事故>ケネディ・ジュニア氏の遺体見つかる−−米NBC(毎日新聞)

 【ニューヨーク21日川西和夫】自家用機操縦中に米マサチューセッツ州で消息を絶ったケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の遺体を発見したと、米NBCテレビなどが21日朝(日本時間同日夜)報じた。  米政府高官によると、遺体と墜落機は米マサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島沖約11キロの海域で前夜から同日朝にかけての捜索で発見。水深約30メートルの場所という。同乗していたキャロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)については明らかでない。  ケネディ・ジュニア氏は16日夜、おじの故ロバート・ケネディ司法長官の末娘ローリーさんの結婚式出席のため、同州ハイアニスポートに自家用機で向かう途中に遭難、米沿岸警備隊は18日、3人の生存が絶望的だと発表していた。 [毎日新聞7月21日] ( 1999-07-21-21:48 )


1999年7月21日(水) 21時12分
<速報・小型機事故>ケネディ・ジュニア氏の遺体見つかる(毎日新聞)

 米NBCテレビは21日、自家用機操縦中に行方不明になっていたジョン・F・ケネディ・ジュニア氏の遺体を発見した、と報じた。AP通信も同日、米当局者の話として機体の中にケネディの遺体を見つけたと報じた。 [毎日新聞 07月21日]


1999年7月21日(水) 6時14分
<JFK>ケネディ家が死亡受け入れる声明(毎日新聞)

 【ニューヨーク19川西和夫】自家用機操縦中に米マサチューセッツ州で消息を絶ったケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)らについて、ケネディ家は19日、「3人の喪失による言いしれぬ悲しみで満ちている」と、3人の死を認める声明を発表した。同日の捜索・収容活動で遺体発見に至らなかったが、声明によって同家は心の区切りをつけた。  事故発生以来、ケネディ家は沈黙を守ってきた。18日に米沿岸警備隊が、遭難したケネディ・ジュニア氏、キャロリン夫人(33)、同夫人の姉ローレンさん(34)の生存が絶望的だと結論づけたため、故大統領の末弟であるエドワード・ケネディ上院議員が声明を発表した。  声明は、同氏のことを子供のころから世界に知られてきた「輝く光」だったと表現し、大統領一家の一員として国民に親しまれてきた存在であることを強調した。またキャロリンさん姉妹の両親も同日、3人を悼む声明を出した。  墜落海域とみられる同州マーサズ・ビンヤード島沖では、この日初めてダイバーが投入されたが、機体は発見できなかった。 [毎日新聞7月20日] ( 1999-07-20-18:40 )


1999年7月20日(火) 18時32分
<JFK>ケネディ家が死亡受け入れる声明(毎日新聞)

 自家用機操縦中に米マサチューセッツ州で消息を絶ったケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)らについて、ケネディ家は19日、「3人の喪失による言いしれぬ悲しみで満ちている」と、3人の死を認める声明を発表した。同日の捜索・収容活動では遺体発見に至らなかった。 [毎日新聞 07月20日]


1999年7月20日(火) 10時50分
「言いようのない悲しみ」=ケネディ家が声明(時事通信)

 【ニューヨーク19日時事】ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)ら3人が乗った小型機の墜落事故発生以降、沈黙を守ってきたケネディ家は19日、同氏らを失った「言いようのない悲痛と悲しみ」でいっぱいだとする声明を出した。  [時事通信社 1999年 7月20日 10:50 ]


1999年7月20日(火) 6時14分
<ケネディ不明>事実上の追悼番組を一斉に放映 米メディア(毎日新聞)

 【ロサンゼルス18日吉田弘之】米メディアは、過去に収録したケネディ・ジュニア氏のインタビューや経歴の詳細を繰り返し流すなど、事実上の追悼番組を一斉に放映し始めている。1997年のダイアナ元妃死亡と同様の規模の報道で「ケネディ家の悲劇」を伝え続けている。
 米メディアは、ケネディ氏の行方不明が伝えられた16日深夜からABCやCBS、NBCなど3大ネットワーク、CNNなどケーブルテレビは救助作業の模様を逐一、24時間体制で報道。「生存の望み」があった18日午前は国民感情を考慮してケネディ氏の人柄などを現在形で伝えていたテレビ局もあったが、午後9時半(東部時間)、米沿岸警備隊が記者会見し「絶望」との見解を明らかにした後、過去形に変わりつつある。19日付のロサンゼルスタイムス紙など米新聞も早版から1面トップで一斉に「ほぼ絶望」を伝え、一部では訃報記事の形を取っている。
 一方、テレビはケネディ元大統領の暗殺事件で、棺にひざまずくジュニア氏の映像から現在に至る経歴の詳細を繰り返し放映。ケネディ大統領暗殺とダブらせる形で「米国のローヤルファミリー」といわれるケネディ家の悲劇を伝え、米国民の受けた衝撃の深さを物語っている。  また、タイムやニューズ・ウィーク誌など雑誌メディアも締めきりを延長して一斉に「カバー・ストーリー」としてケネディ氏の事故を特集。ニューズ・ウィーク(米国版)は55ページのうち29ページを特集に当てたという。 [毎日新聞7月19日] ( 1999-07-19-18:41 )


1999年7月19日(月) 22時14分
<ケネディ不明>事実上の追悼番組を一斉に放映 米メディア=替(毎日新聞)

 【ロサンゼルス18日吉田弘之】米メディアは、過去に収録したケネディ・ジュニア氏のインタビューや経歴の詳細を繰り返し流すなど、事実上の追悼番組を一斉に放映し始めている。1997年のダイアナ元妃死亡と同様の規模の報道で「ケネディ家の悲劇」を伝え続けている。
 米メディアは、ケネディ氏の行方不明が伝えられた16日深夜からABCやCBS、NBCなど3大ネットワーク、CNNなどケーブルテレビは救助作業の模様を逐一、24時間体制で報道。「生存の望み」があった18日午前は国民感情を考慮してケネディ氏の人柄などを現在形で伝えていたテレビ局もあったが、午後9時半(東部時間)、米沿岸警備隊が記者会見し「絶望」との見解を明らかにした後、過去形に変わりつつある。19日付のロサンゼルスタイムス紙など米新聞も早版から1面トップで一斉に「ほぼ絶望」を伝え、一部では訃報(ふほう)記事の形を取っている。
 一方、テレビはケネディ元大統領の暗殺事件で、棺にひざまずくジュニア氏の映像から現在に至る経歴の詳細を繰り返し放映。ケネディ大統領暗殺とダブらせる形で「米国のローヤルファミリー」といわれるケネディ家の悲劇を伝え、米国民の受けた衝撃の深さを物語っている。
 また、タイムやニューズ・ウィーク誌など雑誌メディアも締め切りを延長して一斉に「カバーストーリー」としてケネディ氏の事故を特集。ニューズ・ウィーク(米国版)は55ページのうち29ページを特集に当てたという。 [毎日新聞7月19日] ( 1999-07-19-21:26 )


1999年7月19日(月) 18時43分
<ケネディ不明>3人の生存が絶望的 ケネディ家は重い沈黙(毎日新聞)

 故ケネディ米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)ら3人の生存が絶望的であることを18日、米沿岸警備隊から告げられたケネディ家は重い沈黙を保っている。36年前、暗殺された父親の棺(ひつぎ)を弟と一緒に見守った姉のキャロラインさん(41)は、愛する弟の死に向き合おうとしているようだ。 [毎日新聞 07月19日]


1999年7月19日(月) 18時43分
<ケネディ不明>事実上の追悼番組を一斉に放映 米メディア(毎日新聞)

 米メディアは、過去に収録したケネディ・ジュニア氏のインタビューや経歴の詳細を繰り返し流すなど、事実上の追悼番組を一斉に放映し始めている。1997年のダイアナ元妃死亡と同様の規模の報道で「ケネディ家の悲劇」を伝え続けている。19日付の米新聞も早版から1面トップで一斉に「ほぼ絶望」を伝ている。 [毎日新聞 07月19日]


1999年7月19日(月) 17時14分
<ケネディ氏機不明>沿岸警備隊が絶望と判断、遺体捜索に移行(毎日新聞)

 【ニューヨーク18川西和夫】ケネディ元米大統領の長男で雑誌「ジョージ」発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻ら3人の捜索を担当している沿岸警備隊のララビー少将は18日夜9時半(日本時間19日午前10時半)からマサチューセッツ州の捜索現場近くで会見し、「捜索・救助から捜索・引き揚げに移行する」と語り、3人の救助を事実上、断念したことを明らかにした。同警備隊はその旨を家族にも伝えたという。しかし、捜索は引き続き行うと強調した。同少将は「事故発生から18時間たっている以上、生存は絶望的だ」と語った。
 3人の捜索は、18日も早朝から沿岸警備隊員ら300人以上が参加して再開された。同警備隊は18日もマサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島南方の海域で続行し、所持品や機体の一部ともみられるイスの残がいなどを発見したが、3人の行方はつかめていない。
 一方、遭難機からの緊急信号が確認され、今後、捜索海域が絞られることになった。米沿岸警備隊によると、同日、事故機からとみられる緊急信号を1回だけ受信した。場所は同島南西約7・2キロの海域で、同機が墜落したと想定される場所とも一致するため、今後、この海域を集中的に捜索することになった。水深約24〜30メートルといわれ、潜水夫も動員する。  また、運輸安全委員会は事故機が消息を絶つ直前の16日午後9時40分、29秒の間に高度が210メートルから540メートル下がったことを明らかにした。飛行機の性能に耐えうる降下の範囲と説明しているが、事故と関連したものと受け取られている。  新聞、テレビは18日も遭難事件を集中的に報道し、タイム、ニューズウィークなど19日発行の週刊誌もあらかじめ予定していた企画を変更し、ケネディ家の新たな悲劇を特集に組んだ。 [毎日新聞7月19日] ( 1999-07-19-11:54 )


1999年7月19日(月) 17時4分
ワシントン・ポスト紙早版ヘッドライン(7月19日付)(ロイター)

 [1面]
★小型機で遭難した、故ケネディ米大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏ら3人の生存への望みが薄れるなか、捜索の範囲が、マーサズ・ビンヤード沿岸の大西洋に限定される。 [メネムシャ(米マサチューセッツ州)] [東京 19日 ロイター]


1999年7月19日(月) 16時11分
米テレビ局、ケネディ氏の遭難事件を集中的に報道(ロイター)

[ハリウッド 18日 バラエティ/ロイター] 米テレビネットワーク各局は、故ケネディ大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の遭難に関する報道一色となった。同氏が操縦する自家用飛行機は16日夜、米北東部マサチューセッツ州沖の海上に墜落したと見られている。 約36年前にダラスでケネディ元大統領暗殺を現場で目撃したCBSの花形アンカーマン、ダン・ラザー記者は事故翌日の17日、機上から1日中ライブで捜索の模様を伝え、ケネディ家の伝説をギリシャ神話にたとえた。 ラザー記者は声をつまらせながら、「米国民は、父の棺に敬礼する少年をとらえた有名な映像の中で、彼の姿を記憶している」と語った。 3大ネットワークは17日、予定されていたスポーツ番組を全て中止し、CM抜きでケネディ氏遭難事故の捜索の模様を伝える特別番組を放映した。


1999年7月19日(月) 13時37分
遭難のケネディ氏、生存は絶望的=沿岸警備隊(ロイター)

 [オティス沿岸警備隊基地(米マサチューセッツ州) 18日 ロイター] 米沿岸警備隊は、2日前に小型機で遭難した故ジョン・F・ケネディ大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏ら3人の生存について、もはや楽観していない、との見方を示した。 警備隊によると、隊員らの任務を、捜索・救助から捜索・収容に変更した、という


1999年7月19日(月) 13時35分
ケネディ氏の安否を気遣うメールが殺到(ロイター)

[ニューヨーク 18日 ロイター] ケネディ元米大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏とその夫人、義姉が乗っていた小型飛行機が16日夜に消息を絶った事件で、ケネディ氏に対する祈りや哀悼のメッセージが、インターネットに殺到している。 世界最大手のパソコン通信企業、アメリカ・オンライン(AOL)によると、97年にパリでダイアナ元英皇太子妃が交通事故で死亡した時以来のペース。AOLの広報担当者は、「ダイアナ元英皇太子妃を除けば、前例のないことだ。チャットルームは満杯だ」と語った。 ケネディ氏の乗った小型飛行機が消息を絶ったマサチューセッツ州のマーサズ・ビンヤード沖では、現在も捜索活動が続いている。 AOLのチャットルームには、毎分約60本のペースでメッセージが送られてきている。ダイアナ元英皇太子妃の死亡時には、毎分約100本のペースでメッセージが送られてきたという。


1999年7月19日(月) 12時49分
ケネディ氏ら生存の可能性ない=米沿岸警備隊、救命から遺体捜索・収容に(時事通信)

 【ワシントン18日時事】米マサチューセッツ州マーサズビニャード島付近で墜落したとみられるジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)操縦の小型機の捜索を続けている沿岸警備隊当局者は18日夜(日本時間19日午前)の記者会見で、同氏らの生存の可能性はほぼないとみていることを明らかにした。同当局者はこの中で、小型機の消息はまだつかめていないとしながらも、(1)事故発生から約48時間が経過している(2)付近の水温が20度と低く、12時間以上水中で生存するのは困難(3)遭難機にはライフジャケットなど救命具が搭載されていなかった―などから、「生存の可能性はほぼゼロ」と判断したという。また、先に捕そくされた緊急信号については「間違ったデータだった」とした。  [時事通信社 1999年 7月19日 12:25 ]


1999年7月19日(月) 11時54分
<ケネディ氏機不明>沿岸警備隊が絶望と判断、遺体捜索に移行(毎日新聞)

 ケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻らの捜索を担当している沿岸警備隊は18日夜会見し、「捜索・救助から捜索・引き揚げに移行する」と語り、3人の救助を事実上、断念したことを明らかにした。家族にもその旨を伝えたという。警備隊は「生存は絶望的だ」と語った。 [毎日新聞 07月19日]


1999年7月19日(月) 11時38分
英フィナンシャル・タイムズ紙ヘッドライン(7月19日付)(ロイター)

 [1面]
★16日夜にジョン・F・ケネディJr.とその夫人、義姉が乗っていた小型機が消息を絶った事件で、生存への期待が薄れ、多くの市民が父である故ケネディ大統領の墓地を訪れる。 [アーリントン墓地]
★米通信会社間の買収競争は、クエスト・コミュニケーションズがUSウエストと合併し、グローバル・クロッシングがフロンティアを買収することで決着。 [ニューヨーク]
★日本の金融監督庁は、19日に予定されていた、クレディ・スイスのデリバティブ子会社、クレディ・スイス・ファイナンシャル・プロダクツの銀行免許取り消しに対する、同行側の意見を聞く聴聞会を延期。延期は、当局が前例のない厳しい処分について再考している可能性を示唆。 [東京]
[その他]
★ナスダック上場の英ケーブル業者NTL、英ケーブル・アンド・ワイヤレス・コミュニケーションズのケーブル部門買収について、期限付きで独占的交渉に入り、ケーブル業界の買収競争で一歩リード。 [東京 19日 ロイター]


1999年7月19日(月) 11時14分
<小型機事故>ケネディ氏操縦の小型機 破片発見、生存絶望=替(毎日新聞)

 【ニューヨーク17日川西和夫】ケネディ元大統領の長男で、雑誌「ジョージ」発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)操縦の行方不明機を捜索している米沿岸警備隊は17日午後(日本時間18日午前)、同機の破片などをマサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島沖で発見した。徹夜の捜索にもかかわらず、18日朝になっても不明機を発見できず、同氏夫妻ら3人の生存は絶望視されている。  沿岸警備隊は、小型機が向かっていたマーサズ・ビンヤード島の西部ゲイヘッド沖で同機の車輪や、同乗していたキャロリン夫人(33)の姉ローレン・ベセットさん(35)の名刺入りバッグなどを発見した。米テレビは、同機が島の西約30キロで急降下したと報じている。ケネディ氏は昨年、操縦免許を取得したばかり。当時、現場付近にはもやがかかり、視界は6、7キロしかなかったという証言もある。  夫妻は、ローレンさんを島に降ろした後、同州ハイアニスポートのケネディ家邸宅で17日に開かれる故ロバート・ケネディ司法長官の末娘で、いとこにあたるローリーさんの結婚式に出席する予定だった。結婚式は、急きょ延期された。 [毎日新聞7月18日] ( 1999-07-18-23:15 )


1999年7月19日(月) 11時0分
遭難のケネディ氏ら生存絶望視広がる(サンケイスポーツ)

 【ニューヨーク支局=18日】行方不明になった故ケネディ米大統領の長男で雑誌発行人兼編集長のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)夫妻ら3人が乗った自家用小型機の捜索は17日から18日にかけ、空と海から徹夜で続けられた。しかし17日午後、マサチューセッツ州の沖合でスーツケースや座席の破片などが見つかり、3人の生存は絶望的との見方が強まった。
 ABCテレビによると、自家用小型機はマサチューセッツ州マーサズ・ビンヤード島の西約30キロ付近で急降下したことが航空当局のレーダーに記録されており、着陸体勢に入る直前に何らかの原因で操縦不能に陥ったとみられる。当時、現場にはもやがかかっていた。ケネディ氏は約1年前に小型操縦機の免許を取ったばかりだったという。
 小型機の捜索は17日から18日にかけ、空と海から多数の小型ボートやヘリコプター、夜間透視装置付きの航空機などが出て徹夜で続けられた。17日午後、小型機のものとみられる車輪の破片や積載物など発見されたことで、安否については悲観的な見通しが強まっている。
 ケネディ氏が操縦する小型機は16日夜、ニュージャージー州の空港を離陸し、夫人のキャロリンさんと夫人の姉が搭乗。夫妻は17日夕、マサチューセッツ州ハイアニスポートで行われる予定の故ロバート・ケネディ司法長官の末娘、ローリーさんの結婚式に出席する予定だった。
 ケネディ家には、常に「悲劇の一族」との印象がつきまとってきた。1963年に暗殺されたケネディ大統領の葬儀で、棺に敬礼していた子どもがケネディ氏。その姿は米国民の心に焼き付き、同氏は「ケネディ家の悲劇」の象徴的な存在ととらえられてきた。  それだけに、今回の事故は、全米に衝撃を与えている。一部米紙は号外を発行、NBC、ABC、CBSの3大ネットワークを含めテレビ主要局も特別番組で生中継し、捜索の進展を逐一速報するなど、全米がかたずをのんで捜索の様子を見守った。  高校生の時に「理想」と仰ぐ元大統領と握手し、政界に関心をもったというクリントン大統領が「どんな小さな情報でも知らせてほしい」とホワイトハウスのスタッフに指示したことも象徴的だ。  一方、ニューヨーク市のノースモア通り20番にあるケネディ夫妻の家の前には、多くの報道陣がつめかける中、数人の女性たちが献花し、悲しみの表情を浮かべていた。 [サンケイスポーツ1999年7月19日]


1999年7月19日(月) 10時6分
上院選出馬を検討していた=消息絶ったケネディ氏−米誌(時事通信)

 【ニューヨーク18日時事】19日発売の米誌ニューズウィーク最新号は、自家用小型機に乗ったまま消息を絶ったジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)が、2000年の上院議員選挙にニューヨーク州から出馬することを検討していたと報じた。  ヒラリー・クリントン大統領夫人は同州からの上院選出馬を目指しているが、同誌がケネディ氏の親友の話として伝えたところによると、ヒラリー夫人が上院選への関心を表明する前、ケネディ氏は極秘に出馬の可能性を探っていたという。  [時事通信社 1999年 7月19日 10:06 ]


1999年7月19日(月) 8時54分
海中の緊急信号を補そく=3人の消息は依然不明−ケネディ氏小型機捜索(時事通信)

 【ワシントン18日時事】米東海岸沖のマサチューセッツ州マーサズビニャード島付近で墜落したとみられるジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)操縦の小型機の捜索は18日、航空機や船舶などを動員して続けられ、沿岸警備隊は同日の記者会見で、同島沖の海中から発せられた緊急信号を補そくし、捜索活動をその付近に絞ることを明らかにした。  沿岸警備隊によると、信号をキャッチしたのは1回だけで、ケネディ氏の小型機のものかどうかは分かっていない。18日の捜索では、新たに小型機の断熱材や座席の一部が発見されたが、同機が行方不明となってから丸二日がたとうとする中で、乗っていたケネディ氏夫妻と同氏の義姉の消息は依然つかめていない。  [時事通信社 1999年 7月19日 08:54 ]


1999年7月19日(月) 8時29分
ケネディ米元大統領の長男の乗った小型機が墜落か(ロイター)

  [オーティス・エア・ナショナル・ガード基地(米マサチューセッツ州) 18日] ケネディ米元大統領の長男、ジョンFケネディ・ジュニア氏が操縦し、夫人と義妹の乗った小型飛行機が16日夜、マサチューセッツ州のマーサズ・ビンヤード沖合いで消息を絶ち、墜落したとみられることから、沿岸警備隊などが捜索を続けている。 沿岸警備隊当局によると、18日午後の捜索では、墜落機からのものとみられる緊急送信音が捕そくされ、これを目指して捜索が続けられている。 17日の捜索では、夫人の名前が入った処方薬や、義妹のものとみられるスーツケース、消息不明機と同じ種類の機体の破片などが発見されていた。


1999年7月18日(日) 14時38分
ケネディ元大統領の長男ら絶望か=米東海岸で搭乗機の破片と手荷物発見(時事通信)

 【ワシントン18日時事】1963年に暗殺されたケネディ元米大統領の長男で、雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の操縦していた小型機が16日夜(日本時間17日午前)、米東部海岸沖で消息を絶った事件について、沿岸警備隊は17日、同機の破片と搭乗者の手荷物が発見されたことを明らかにした。ケネディ氏夫人のキャロリンさん(33)とその姉が同乗しており、米空軍や沿岸警備隊が大規模な捜索を展開しているが、3人の生存は絶望的となった。  [時事通信社 1999年 7月18日 14:38 ]


1999年7月18日(日) 14時4分
<ケネディ氏機不明>元大統領長男不明でいとこの結婚式は中止(毎日新聞)

 故ケネディ米大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・Jrさんらの乗った小型機が消息不明となり、予定されていたケネディさんのいとこ、ロリーさんの結婚式は延期され、一族約50人が集まってミサが行われた。ロリーさんは故ロバート・ケネディ米司法長官の娘で、ロバートさんが暗殺された時に母エセルさんの胎内にいた。 [毎日新聞 07月18日]


1999年7月18日(日) 11時54分
ケネディ家の災難、またも全米揺るがす=親族は無事祈るミサ(時事通信)

 【ワシントン17日時事】故ケネディ元米大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の操縦していた小型機が消息を絶ったとのニュースは17日、全米を駆けめぐり、またしてもケネディ家を襲った災難に人々は言葉を失った。行方不明となったケネディ夫妻が出席するはずだったいとこのロリーさんの結婚式は延期され、親族は代わりに夫妻らの無事を祈るミサを開いた。  [時事通信社 1999年 7月18日 11:17 ]


1999年7月18日(日) 6時14分
<ケネディ氏機不明>ニューヨーク州沖で消息絶つ 3人乗り=替(毎日新聞)

 【ニューヨーク支局17日】米CNNテレビによると、ケネディ元大統領の長男で政治雑誌編集長、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)が操縦する小型機が17日未明、ニューヨーク州ロング・アイランド沖で消息を絶った。同機にはケネディ氏と夫人、友人の3人が乗っていると見られ、米空軍や同州沿岸警備隊が捜索を始めた。  ケネディ氏らはマサチューセッツ州ボストン南方の保養地マーサズ・ビンヤード島に向かう途中で、同日午前3時40分ごろ、非常事態を知らせる無線を沿岸警備隊が傍受したという。  ケネディ氏は1963年、暗殺されたケネディ大統領の葬儀で父親の棺に敬礼する幼い姿が世界中の涙を誘った。ニューヨーク州検事局検事を経て月刊誌「ジョージ」発行人になりジャーナリズムの世界に進んだが、政界入りのうわさも絶えなかった。人気女優シャロン・ストーンさんと浮名を流すなどプレイボーイとして知られたが、長年の恋人だった6歳年下の妻キャロリンさんと96年9月に結婚した。 [毎日新聞7月17日] ( 1999-07-17-23:15 )


1999年7月18日(日) 6時3分
故ケネディ大統領長男の小型機墜落か=米東海岸沖で手荷物と破片を発見(時事通信)

 【ワシントン17日時事】1963年に暗殺されたケネディ元米大統領の長男で雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)の操縦していた小型機が16日夜(日本時間17日午前)、米東海岸沖で消息を絶ったが、沿岸警備隊によると17日、同機のものとみられる破片と手荷物が発見され、墜落した可能性が高まった。ケネディ氏のキャロリン夫人と夫人の姉が同乗しており、米空軍や沿岸警備隊が大規模な捜索を行っている。  [時事通信社 1999年 7月18日 06:03 ]


1999年7月18日(日) 0時57分
故ケネディ大統領の長男、消息絶つ=小型機がNY沖で不明、大規模捜索(時事通信)

 【ワシントン17日時事】米CNNテレビなどによると、故ケネディ元大統領の長男で政治雑誌発行人のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)が乗った小型機が17日未明(日本時間同日昼)、米東海岸で消息を絶ち、沿岸警備隊が大規模な捜索を続けている。  [時事通信社 1999年 7月18日 00:53 ]


1999年7月18日(日) 0時34分
<ケネディ氏機不明>一家についてまわる不運や悲劇(毎日新聞)

 ケネディ家の人々にはいつも不運や悲劇がついてまわった。ジョン・F・ケネディは1961年に43歳の若さで第35代大統領に就任し、米ソ和解に道を開いたが、63年11月22日、テキサス州ダラスで暗殺された。その弟、ロバート・F・ケネディは、大統領選挙に出馬表明し選挙活動中の68年6月、暴漢に撃たれ死亡。 [毎日新聞 07月18日]


1999年7月18日(日) 0時34分
<ケネディ氏機不明>ロングアイランド沖で消息絶つ=3替(毎日新聞)

 米CNNテレビなどによると、ケネディ元大統領の長男で政治雑誌編集長、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)が操縦する小型機が16日深夜(日本時間17日午前)、ニューヨーク州ロングアイランド沖で消息を絶った。同機にはケネディ氏と夫人、友人の3人が乗っているとみられ、同州沿岸警備隊が捜索を始めた。 [毎日新聞 07月18日]


1999年7月18日(日) 0時34分
<ケネディ氏機不明>ボストン沖保養地へ飛行中に消息絶つ=2替(毎日新聞)

 暗殺されたケネディ元米大統領の息子で雑誌「ジョージ」発行者のジョン・F・ケネディ・ジュニア氏(38)らの乗った小型機が16日夜、ニュージャージー州の空港からマサチューセッツ州ボストン南方の保養地マーサズ・ビンヤード島へ向けて飛行中に行方不明になり、米沿岸警備隊などが捜索している。 [毎日新聞 07月18日]


1998年4月5日(日) 16時 8分
オズワルドの救急車が100万円=米悲劇史博物館で競売(時事通信)

 【ワシントン5日時事】米フロリダ州セントオーガスティンにある「米悲劇史博物館」の閉館に伴う展示品の競売が4日行われ、ケネディ元大統領の暗殺犯、リー・オズワルドがダラスの警察署でクラブ経営者に射たれた後、病院に運ばれた救急車が7500ドル(約101万円)で落札された。1965年開館の同博物館はその意外さで人気を集めていたが、展示品を熱心に収集した経営者の死去で閉鎖となった。競売では、24歳の若さで交通事故死した映画俳優、ジェームズ・ディーンの皮ジャケットが550ドル(約7万4000円)、ケネディ元大統領が暗殺の数時間前、テキサス州フォートワースで乗った白いリンカーンが1万7500ドル(約236万円)、オズワルドの自宅の家具一式が6000ドル(約81万円)でそれぞれ売りさばかれた。 [時事通信社]